土を通じて表現する想い〈前編〉
左官職人・久住有生さん

2018.07.09

「左官職人」と聞いて、ほとんどの方が「壁を塗る人」と答えるでしょう。同時に想像するのは筋ひとつ残さず美しく整えられたフラットな壁。ところが、この方が塗る壁は概念を覆します。自ら躍動し、個として存在し、語りかけてくるような豊潤な生命力を感じさせるのです。手がけたのは、国の内外から高い評価を得ている屈指の左官職人、久住有生さん。MITSUI HOME PREMIUM 駒沢レジデンスでもホワイエのウォールアートを手がけていただきました。今回は久住さんをお招きし、そのルーツや左官という職業への想いについて伺いました。

父と母の英才教育があったからこそ、今があるのだと思う。

祖父の代から続く左官職人の家に生まれた久住さん。天才と称された父に幼い頃から超スパルタ教育を受けていたため「早く別の進路を見つけないと左官にされてしまう」と小学校四年生ですでに焦っていたと笑います。「父は同じ事をずっと繰り返しやらせることで、根気強さや飽きない心を育てようと思っていたようです。技術を教えるよりは、現場で山と積まれた砂にふるいをかけろ、ひたすら絵を描け、折り鶴を折れ、一週間で龍の絵を100枚描いてこい、壁を塗る練習をしないとご飯を食べさせないとか。まるでスポ根アニメです。小学生はイヤになりますよね(笑)」「父は研究が好きで理論的に話をする人だったけれど、僕には一切そんなことを言ったことがなく、ただひたすら同じことをするように訓練させました。日本の伝統工芸や職人技は、何年間も毎日毎日やってようやく身につくものが多い。それを叩き込まれたのでしょうね」。
「母は華道の先生をしていていましたし、育った家には茶室があった。学校から帰ると門を開けて路地を通って、その脇に季節の植物があって。庭にもいつも美しい花や実のなる植物が生えていました。縁側からそれを眺めていると母がお菓子を出してくれたり。これが日常だったので、知らないうちに良いものや美しいものとそうではないもの、つまり美意識を教わっていたのだと思います」。それらが今のキャリアの基礎となっているのでしょうか? 「そうですね。僕は絵を習ったりデザインを勉強したことはないけれど、ロココのレリーフを手がけた時も、壁に漆喰を塗って描き始めると、頭の中で思ったことがそのまま描けるのです。考えながらやるというより身体が動く。ピアノやスポーツと同じです」

それでも抵抗して、10代の頃はケーキ屋になりたかった。

小学生の頃からの人生探しは高校生になっても続きます。「自分の好きになれる何かを探さなければならかなった。それで高校1年生の時に、もともと大好きだったケーキ屋のバイトを始めました」。驚くことに、そこで頭角を発揮。「同期に入った人たちはレジや包装の担当でしたが、僕はすぐに作れたんです。塗るのが土から生クリームに変わっただけですから(笑)。空気を混ぜる量や塗る高さも感覚でわかるので、オーナーもどんどん任せてくれる。あげくに『新店舗を一緒にやらないか』とまで言ってくれて」。そこで父親にケーキの専門学校に行きたいと相談すると、学校に行っても遊ぶだけだと一蹴されてしまいます。「その代わりに「世界を観てこい」と20万円くらいを手渡されました。そしてヨーロッパの旅に出たんです」。
「実は父の戦略はそこから始まっていました。ガウディなんか遊園地みたいで面白いから見てみろと言われ、高校3年生でしたが大聖堂やベローナなど父の勧める名だたる有名建築を見て歩きました」。とはいえ写真に撮ったのは自分の夢であるケーキだけ。でも不思議なことに記憶に残っているのは建築ばかりなのだとか。「強烈なのは最初にガウディを見たサグラダファミリア。400年を掛けて建築を完成させる、人間の構想の壮大さに感動したんです。そのとき初めて左官になってもいいかなと、ちょっと思ったんです」。>>次回へ続く。

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