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受け継がれる伝統の心「京和傘」

ART

受け継がれる伝統の心「京和傘」

JUN.28.2016

竹と和紙が織りなす、素朴さの中に気品の漂う京和傘。しかし洋傘の普及とともに廃業する和傘店が相次ぎ、消滅寸前に。そんな伝統の技を継承し、グローバルな「老舗ベンチャー」へと発展させた和傘店があります。新たな創造へと挑み続けている和傘職人のお話をご紹介します。

和傘文化の美しさと可能性に魅せられて

和傘文化の美しさと可能性に魅せられて

和傘が庶民に普及したのは、江戸時代中期以降のこと。気品のある「蛇の目傘」をはじめ、日常使いの「番傘」や舞踊で用いる「舞傘」、屋外の茶席で使う「野点傘」など、熟練の職人たちによって多種多様な傘が生まれ、江戸時代には大輪の和傘文化が花開きました。竹の骨組みが放射状に広がるシルエットや、光を透かした色彩の美しさなど、そこには伝統が育んだ洗練された機能と造形の美が息づいています。

和傘文化の美しさと可能性に魅せられて02

江戸時代から続く京和傘の老舗「日吉屋」五代目当主の西堀耕太郎さんは、かつてそうした和傘特有の美に思いがけず出会い、和傘づくりの世界へ足を踏み入れることに。「私は以前、地元の市役所観光課に勤めていました。そのとき、たまたま結婚前に妻の実家だった日吉屋に遊びに行き、店頭で番傘を手にして開いたところ、その美しさにすっかり魅了されてしまったのです。さらにエリザベス女王が来日した際の古い雑誌を見せてもらい、桂離宮で催された 野点の席で使われた傘が日吉屋でつくられたと知り、これは凄いなと思いましたね。しかし、その頃はすでに和傘をつくっても売れず、京和傘の店は次々に廃業し、日吉屋一軒だけになっていました」と西堀さん。

洋傘の普及とともに売れない時代となり、すでに商売としては成り立たない状況にありました。

留学経験が職人の道を後押し

留学経験が職人の道を後押し

奥様の実家が店を畳もうかというとき、後を継ぐことを申し出た西堀さん。

「何代も続いた伝統的な仕事はやり甲斐もあるし、京和傘の店が無くなってしまうのはとても残念に思えたのです。失敗したところで、またやり直せばいいじゃないかという気持ちもありました」 こうした考え方は、高校卒業後の留学体験によって培われたそう。「カナダでは祖国が武力紛争中のバイト仲間と知り合いましたが、彼らは国に戻ってもやり直せない。でも日本は平和で失業率も低く、失敗しても何度でもやり直しがきくと 痛切に感じました」と回想する西堀さん。海外では日本について尋ねられることも多く、改めて日本の伝統の良さを再発見し、後日はじめて和傘を見たときの感動にもつながったのだそう。

伝統は革新の繰り返し

伝統は革新の繰り返し

五代目として店を継いだ後、周囲の不安をよそに和傘の売り上げは順調に伸びていったそう。しかし、普段使い日常品として伝統的な和傘を買う人は少なく、西堀さんはこのときすでに先を見据え、日常生活で普通に使える商品をつくるべきだと考えていたのです。

「和傘の歴史を振り返ると、和紙づくりや木工技術の向上にともない、時代ごとに少しずつ進化を遂げてきました。つまり和傘は当時の工芸技術の最先端だったわけですね。それがいつしか進化を止めてしまい、京和傘の店は一軒だけになってしまった。歴史を見てもわかるように、 伝統とは革新の連続で、立ち止まっててはいけないのだと思います」と西堀さん。

伝統は革新の繰り返し02

伝統は革新の繰り返し03

こうした考えから生まれたのが、 和傘づくりの技術を活かした照明器具です。和傘は仕上げに戸外で天日干しを行いますが、その際に目にした傘を透過する光の美しさにヒントを得たそう。プロのデザイナーとのコラボレーションにより、開閉角度が自在に調整できる照明「MOTO」(写真上)や色とりどりの和傘照明「古都里」(写真下)など、洗練された「和傘照明」が誕生しました。

2008年からは海外でも販売され、すでに世界的な評価も得ています。京和傘と出会い、消滅しかけた伝統の技を継承し、グローバルな老舗ベンチャーへと発展させた西堀さん。これからも職人技を時代に活かし、新たなる創造によって伝統を守り続けていくことでしょう。

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